明日遊ぶ猫

献血しながらサブ3.5の文化系ランナー。

鎖骨の手術後の経過

【手術後当日】
 手術が終わったのが16:00
 夜から絶対安静の状態で術後の肩や背筋の痛みが強くなる
 夜21:00から痛み止め(座薬)、0:00に痛み止め(注射)
 起き上がりたいがベッドを起こすこともできないため、長く朝を待つ。不眠。


【手術後翌日】
 肩や背筋に強い痛み。明日退院予定だがどうするか?と医師より打診されるが痛みが強く退院は考えられないて伝えたところ退院がのびる。検診で発熱していることが分かる。
 痛み止めの薬が増える。食事取れず。不眠。

【手術後2日目】
 やや熱が下がる。肩や背筋の痛みがおさまる。
 食事とれるようになる。よく眠れる。


手術後直後は痛みが耐え難い状態だった。強い痛みが長く続くことに絶望的な気持ちだった。現在は良好で術前よりも快適に左腕を使えるようになった。

手術が終わりました(鎖骨骨折)

折れた鎖骨をプレートでつなげる手術が終わりました。全身麻酔でした。意識が回復した際は気管挿管の痛みで術後であることを認識しました。翌日は痛みと発熱で動けませんでした。

入院一日目(昼食) 



入院しました。明日、手術をします。

ハーフソール張替え@スコッチグレイン

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革靴のオールソール交換は高いので、経済性を考えてハーフソールに張り替えました。
 張り替えによってビブラムのソールに変わりました。とてもかっこいいです。

レミギウス・モリカビュチス追悼チャリティTシャツプロジェクトのご紹介

レミギウス・モリカビュチス追悼チャリティTシャツプロジェクトをご紹介します。

日本における格闘技の功労者であるレミギウス氏の遺族を支えるためのチャリティTシャツプロジェクトを紹介します。
当時、レミギウスのファイトに興奮しました。 ご興味があるかたはリンク先をご確認ください。

私も一着買いました。

レミギウス・モリカビュチス(Remigijus Morkevicius:愛称レミーガ)は、1982年8月10日、リトアニア共和国に生まれました。
8歳時の政治不安定(ソ連からの独立運動で1991年軍事介入を受ける)を機会に、親元を離れて祖母に預けられて、
以降は祖母と2人の生活に。いつしか祖母を守る為にも、「強くならねば」との想いから14歳でキックボクシングを開始。
その後、祖母が歩行困難となり(骨粗しょう症)、僅かなファイトマネーを闘病中の祖母の治療費に当てていました。

2002年に総合格闘家としても活動を開始し、2002年11月・20歳で日本のリング(総合格闘技ZST興行)に上がるチャンスが生まれて、
祖母の治療費の為に絶好の機会と受け止め、日本を主戦場にする事を決意。
以降、類まれな身体能力とアグレッシブな動きによってZST興行で頭角を現し、2005年1月「ZST-GP2」トーナメントで優勝。
同年の総合格闘技HERO’S興行では地上波放送に乗り、ムエタイベースの強烈なスピードと打撃でファンが全国区に増大し、
端正な顔立ちから女性ファンも急増。又、元々の専門であるキックボクシングのK-1 MAX興行においても、2006年に魔裟斗と対戦。
負けたものの、レミギウスの名は全国区に。上昇したファイトマネーの殆どを、闘病中の祖母に捧げていた事は周知の事実です。

2008年・26歳時のK-1 MAX興行を最後に日本のリングを離れ、2014年・32歳時のKOKリトアニア興行まで戦い、一時休戦。
2017年に復活の意思を固めていましたが、2016年12月21日トレーニング後の帰宅途中に銃撃を受けました、享年34歳。

特に、長く活躍したZST興行では、所英男選手を中心とする多くの日本人選手と切磋琢磨し、リング外でも交流を広げました。
その後の地上波放送での各試合でも、驚異のリトアニア選手として位置付け、日本の格闘技の功労者の一人と言えます。


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