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【読書メモ】「手話ということば もう一つの日本の言語 (PHP新書) /米川 明彦 著 を読みました

「手話ということば もう一つの日本の言語 (PHP新書) /米川 明彦 著」を読みました。

本書では、手話にはろう者の権利獲得と口話法との対立など多くの歴史があることが分かります。

なぜ手話は否定されたか  では、なぜ手話が否定されたのか、口話主義者の代表である川本の代表作『聾教育精説』(現場のバイブルと言われた)から手話に対する批判を書き出しておこう(植村英晴『聴覚障害者福祉・教育と手話通訳』参照)。 手話語は自然表出運動に基づき、人類の言語としては最も初歩的で、幼稚なるものである。 手話語は多義であり変化し易い。したがって意義が曖昧になる懼れが多い。 手話語は直観的であり思想を直截簡明に、絵画的に表現することは容易であるが、抽象概念を表現することは困難である。 手話語は思考を論理的になすことを困難ならしめ、したがって文を論理的になすことを困難ならしめ、論理的表現を完全ならしめない。 手話語はそれ自身には、一つの語法があるかも知れぬが、その語法は如何なる国語とも一致することはない。 手話語は殊に時間空間、原因、結果等の事物の関係、物の属性、殊に人間の関係を明瞭に表現すること困難である為、甚だしきは、その文は文をなさず、語法の紛更を来し、々単語の羅列となることがある。故に聾唖児の思考力を発達させることに貢献することが少ない。 斯くの如くであるから、手話語は各国の国語とは、全くその体系を異にする。異種の体系語と結合して教授しても聾児の使用する国語は、あたかも木に竹をついだ様になる傾向が甚だ強い。したがって自ら、聾児に文の理解力を盛にし、読書力を発達させることを、甚だ困難ならしめ

今日の認識においては甚だ誤った認識であることは確かで、手話には文法があり、多様な表現が可能であることは証明されています。ろう教育において、長らく口話法が重要視され手話が排除された歴史が説明されています。

口話法の間違いについて、全国聴覚障害教職員連絡協議会の会長前田浩氏(大阪市立ろう学校教諭)は同紙で「手話を使うことを口話法と対立するものとして排除することは誤りだった。聞こえないこと、手話を使うことを恥とし、ろう者として誇りをもってたくましく生きることを教えず、しかも読話・発語能力でもって子どもたちの人間能力をはかる間違いを犯してきた」と話している。

口話法は読話・発語能力を学習する必要があるため修得は簡単ではありません。ろう者にとって負担が多い話法といえると思います。また、あくまで聴者として都合のよい話法であることが理解できます。当然のことながら、手話は聴者とろう者がコミュニケーションをとるための言語ではなく、ろう者にとっての言語であるという認識をあらたにしました。そのため、聴者の立場から、ろう者の言葉を聞くためにはやはり手話を勉強することが必要であると考えました。

同じ日本に住む日本人でありながら、自らの言語が保障されず、不平等、不利益を受けて、権利が損なわれ、尊厳が傷つけられる人々が大勢いることに目を向けなければならない。

まだ、ろう者の権利獲得の道が半ばであることが理解できます。ろう者にとってもう一つの日本語である手話が日本において公用語となっていない現状があり、そのことが公共におけるろう者の不利益につながっている現状があると理解しました。

スポーツの品格 (集英社新書) 感想

スポーツの品格/桑田真澄・佐山和夫 を読んだ。

この本は、スポーツをめぐる問題の根元である「勝利至上主義」について、桑田真澄さんとスポーツ史研究の第一人者である佐山和夫さんの対談をまとめたものである。

昨今、桑田さんはスポーツの「体罰」について積極的に発言をしており、その考えについて触れておきたいと思い本書を読んだ。

桑田さんは本書で、スポーツ界における体罰はなくすべきであると訴えている。

いくつかの論調のなかで選手育成において体罰は協調性を育むうえでプラスの側面があるというものがある
。体罰は育成に不可欠であるというものだ。しかし、桑田さんは、その点についてもNOと言っている。コーチなどへの恐怖心は技術の向上を阻むという側面である。

P38
だんだんエラーをした選手のほうが萎縮してしまうんですね。ー するとその選手はどうするかというと、打球が飛んできたら、膝をついて体で止めるようになるのです。


また、佐山さんも同様に語る。セカンドキャリアの問題である。

P36
若いときに、指示され、殴られ、怒鳴られて、「やれ」と言われたことしかやらなかった人間に、有意義なセカンドキャリアを見つけられるはずがない。

桑田さんはスポーツの楽しみは、結果とプロセスの二つの両立が大切であると語る。どちらがかけていてもだめなものである。

P14
結果とプロセス。この二つを両立し、この二つの価値をともに追い求めていくことこそが、スポーツの楽しみ、喜び、魅力につながっていくと僕は考えています。

P58
たとえば、少年野球にしても学生野球にしても、どの組織も「育成」という目的を掲げているじゃないですか。それなのに、実際にはどこも超勝利至上主義ですようね。あれがもう、僕は根本的におかしいと思うんです。

P80
この間も、あるトレーナーのところにいたら、子どもが来たんです。明らかにひじが曲がっているから「どうしたの?」と聞くと「明日、試合なんです」と言うんですね。ー「学生時代に、大事な試合なんて一試合もない。いちばん大事なのは、自分の体を守ること」って。


高校野球においては、いきすぎた勝利至上主義によって、球児達の将来を危ぶまれることがないようにするべきだ。具体的には投手は投球制限を課せられるべきであると思う。私たちには、甲子園での連投を熱闘として、もてはやすのではなく、彼らの将来を考える、大人として良識ある態度が求められると考える。

本年、柔道・相撲などの不祥事、また部活動での体罰などあまり好ましくない事件が世間を騒がせた。以前であれば、部外者には口出しできない雰囲気があったのではないか。桑田さんのようなスポーツの第一人者から、このような問題に対してNOという意見を発言されていることは非常に良いことであると思う。

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