明日遊ぶ猫

献血しながらサブ3.5の文化系ランナー。

劇場(又吉 直樹)@新潮 2017年 04月号を読みました

又吉 直樹さんの劇場@新潮 2017年 04月号 を読みました。著者の第2作目の小説ですね。
大変面白く読みました。皆さんにおすすめしたい作品です。

作者の処女作『火花』は、大変注目された作品なので、2作目の世間からの期待は大きかったと思います。
前作『火花』は、後半で非常に変化を伴う作品でとてもユニークに感じたのですが、今回の作品は
正統派の青春恋愛小説で、意外と思うのと同時に楽しく読みました。

今回の作品の主人公は、売れていない劇作家です。彼は、自分の意識の高さを誇示するために前衛的な作品ばかりを書く人間ですが、大成していません。また、金銭的にも自立しておらず、いわゆるヒモです。周囲から守られていることを自覚しながら相手を攻撃し、それでいて愛されたいと熱望している弱い人間ですが、私はこういった人間を愛おしく感じます。又吉さんもまた、人の弱さを肯定的にみられる目線を持った作家であると感じました。

> 田所の空返事は、もしかしたら自分の予期していないことが進行していて、その一端を自分が担ったのかもしれないという曖昧でいながら正確な感覚からのもので田所はそれには気づかないふりをして、あくまで自分はプレイヤーに徹することを気づかないふりをして、あくまでも自分はプレイヤーに徹することに決めたようだ。役者っぽいなと思った。

又吉さんは人の内面の精神性を深く言語化できる力量を感じます。言葉を重ねること、文章の骨太さを得たように見えます。

>青山が手際よく、その場にいる人たちを褒め、相手の自尊心を満たしながらうまく立ち回っているのを見ていると、自分ではない誰かの意思で洋服も思想も変えられてしまう着せ替え人形のように見えて恥ずかしくなった。
彼は、一通りの社会性を身に着けることが芸術家としての自分のアイデンティティに関わる問題と考えているようである。しかし、小峰という自分よりも高い才能をもった人間がいることを認め、自分の限界を知ったように見えます。主人公が現実と自分の差を実感した瞬間であろうと思います。

>問題があるとすれば、東京で暮らす男女というテーマが、同時代の別の作家によって、ある種の滑稽な悲劇として、あるいは神話のようなものの一部として、作品化されてしまったことだろう。この主題を僕は僕なりの温度で雑音を混ぜて取り返さなければならない。

最後に、彼は小峰の作品を受け入れ。自分の作品(人生)と向き合うことを受け入れたように感じます。また、一方で彼女との関係性をできることならば維持したいとう浅はかさも感じるやり取りをです。著者は彼のメンタリティの弱さを愛しているのでしょう。

第156回芥川賞受賞作品「しんせかい/山下澄人 著」を読みました

しんせかいをよみました。しんせかいは第156回芥川賞受賞作品です。

 主人公の「スミト」が著名な演出家のもとに弟子入りし、山奥の「谷」で共同生活を送るという内容です。この話は、作者である山下澄人さんが、青春時代を過ごした倉本聰率いる富良野塾での日々がモチーフになっています。富良野塾では俳優や脚本家を目指す若者が共同生活をおくりながら、地元の農家から依頼される作業の対価を生活費とし、暮らしています。そのような境遇においた若者のお話ということで、当然若者の青春群像劇が展開されるものと考えて読み初めましたがすこし景色が異なるようでした。

 「スミト」には地元に残してきた恋人未満の女友達、「谷」で仲良くなった女性などがでてきますが、青春小説にありがちな男女の思いの交差はありません。また、「谷」での仲間たちとの会話も多くは空虚な交換が行われているにすぎません。彼のコミュニケーションに難があるのか、それともフィクションの中に主人公が存在しているのか私の中の疑問が芽生えながら話は終盤になり、スミトは読者に対して最後に思いも寄らない言葉を投げかけ物語りは終わります。スミトがここまで重ねてきた言葉はなんであったのかと考えさせられる物語です。

コンビニ人間 (文春e-book) (Japanese Edition) by 村田沙耶香を読みました。

コンビニ人間 (文春e-book) (Japanese Edition) by 村田沙耶香を読みました。
この作品は第155回(2016年上半期)芥川賞を受賞した作品です。作者の村井さんは2003年「授乳」にて第46回群像新人文学賞(小説部門・優秀作)、09年「ギンイロノウタ」にて第31回野間文芸新人賞、13年「しろいろの街の、その骨の体温の」にて第26回三島由紀夫賞を受賞されているベテランの作家さんですね。


主人公は大学卒業後、就職せず、コンビニのバイトは18年目続けている36歳未婚女性(古倉)です。長くコンビニの店員を続けており周囲から「なんで結婚しないのか」「なんでアルバイトを続けているのか」といった無遠慮な詮索を受けことが多くなってきています。彼女がコンビニ定員を続けていたことには理由があり、幼いころから自分が<普通>ではないと感じていることに起因しています。



こういうことが何度もあった。小学校に入ったばかりの時、体育の時間、男子が取っ組み合いのけんかをして騒ぎになったことがあった。 「誰か先生呼んできて!」 「誰か止めて!」  悲鳴があがり、そうか、止めるのか、と思った私は、そばにあった用具入れをあけ、中にあったスコップを取り出して暴れる男子のところに走って行き、その頭を殴った



コンビニでは業務のほとんどがマニュアル化されていますから、古倉にとってコンビニ店員を続けることは自分が<普通>であることを実感できる場となっています。彼女が独創的な考えを持っていても、彼女の周囲の人々はその考えを知ることはありません。彼女はマニュアルによって<普通>を手に入れることができたといえます。一方であまりにも長くコンビニ店員を続けていたことから次第に前述の好奇の質問を浴びせられることになります。こういった<普通>の人たちによる詮索、<正常でない>ものたちへの社会の残酷さというものが表現されています。



『勘弁してくださいよ……。バイトと無職で、子供作ってどうするんですか。ほんとにやめてください。あんたらみたいな遺伝子残さないでください、それが一番人類のためですんで』 「あ、そうですか」 『その腐った遺伝子、寿命まで一人で抱えて、死ぬとき天国に持って行って、この世界には一欠けらも残さないでください、ほんとに』 「なるほど……」  



彼女(古倉)さんの思いはこういった<普通>の人たちが要求する<普通になれ>という圧力ことが、異常ではないかと考えさせるものになっています。


芥川賞受賞作品 死んでいない者/滝口悠生著 を読みました


芥川賞を受賞した滝口悠生さんの「死んでいない者」を読みました。

目まぐるしく変わる語り手と多数の登場人物、また登場人物を丁寧に掘り下げることにより、
著者は作品の全容を簡単に理解さえることを避けているかのようです。

深い人間の描写は作家としての力を感じますし、芥川賞らしい重厚な作品でした。


多数の登場人物と深い人物描写

孫は全部で十人いる。  いちばん年長がさっきから話に出ている寛だ。死んでなければ三十六になるのか。その弟の崇志は葬儀に来ているが、末弟の正仁はさっき崇志が言っていた通り鹿児島にいて今日は来ていない。崇志が三十二、正仁は三十になったかならないかぐらいだ。春寿たちを乗せて風呂に行った紗重は二十八で、故人と同じ敷地で暮らしていたにもかかわらず葬式に来ていない美之は二十七だ。美之の妹知花は十七だから兄妹の間に十歳の年の差があり、ここがそのまま孫連中の世代をふたつに分ける谷間ともなっている。

登場人物がとても多く、人間関係を整理しながら読むのはなかなか難しい作品です。
ところどころで現れるお通夜あるあるは読み手にも共感できる点が多いのではないでしょうか。


身内という世間

家族史的なトピックを整理しようとしてみると、自分の生まれる前や幼少期のことは他の家と変わらぬ程度のことしかわからないのだった。真っ先に思い出されてくるのは、酔ったお父さんがトイレで鍵をかけたまま眠ってしまった事件や、家族旅行で伊勢を訪れた際にひとりだけ逆方向の電車に乗った知花の紀伊半島一周騒動といった、家族のなかで繰り返し語られる他愛ない話や、昔飼っていた飼い犬ベスのことばかりだった。

孫は親戚筋にとってさしたるイジメられている訳でもなく学業に不安を感じている訳でもないにも拘わらず
不登校という選択をしたことに対し、親戚筋から奇異な見方をされています。一方で孫はそれを意に介していません。

親戚たちの勝手なレッテル張りはいわゆる世間が許さないといったそういう類のもので、
些末なものなのですが、こういった世間の良識の押し売りはどこにでもあるのではないでしょうか。

夫婦という違和感 「異類婚姻譚/本谷有希子 著」読了


 第154回芥川賞受賞作品、本谷有希子さんの「異類婚姻譚」を読みました。本谷さんは作家としてはもちろん劇作家や女優などで多方面に活躍されている多彩な方です。劇作家としての作品は見たことがないので今度機会があれば拝見したいと思います。本作は、専業主婦の私を主人公に他人と一緒になる様式(夫婦)の違和感を毒気とユーモアで描いた作品です。


 タイトルにある異類婚姻譚とは、人間と違った種類の存在と人間とが結婚する説話の総称のことで、
日本では鶴女房や海外のカエルの王様の例などが有名です。

 タイトルのとおり、夫はしばしば異形のものともとれるような形で表現されています。最終的に彼は人間以外のものに
姿を変える形になるのですが、それがオドロオドロしく非常に奇妙な心象を与えます。


私は思わず大きな声をあげていた。  旦那の目鼻が顔の下のほうにずり下がっていたのだ。  瞬間、私の声に反応するかのように、目鼻は慌ててささっと動き、そして何事もなかったように元の位置へ戻った。私は息を吞んだ。Read more at location 5968

ちゃんから聞かされて、私はこれまでずっともやもやしていたことが、ようやく腑に落ちたと感じた。恐らく私は男たちに自分を食わせ続けてきたのだ。今の私は何匹もの蛇に食われ続けてきた蛇の亡霊のようなもので、旦那に吞み込まれる前から、本来の自分の体などとっくに失っていたのだ。だから私は、一緒に住む相手が旦那であろうが、旦那のようなものであろうが、それほど気にせずにいられるのではないか。


 私が無くなっていくことを蛇に食われ続けていたと形容する点が興味深いですね。


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