明日遊ぶ猫

献血しながらサブ3.5の文化系ランナー。

滅亡へのカウントダウン(上): 人口大爆発とわれわれの未来 感想

滅亡へのカウントダウン/アラン・ワイズマン著(鬼澤忍訳)

 自分にとって解決できないほどの大きな規模のイシューは初めから考えないとする人も多いと思う。人口爆発の問題はそのもっともたる例であろう。しかしながらこの問題はいつまでも私たちが目をつぶっているだけでは解決できないものである。

 すでに地球の人類は70億人に達しており、今世紀中には100億人越える。いつか、増えすぎた人類によって地球の資源は使い尽くされる日がくる。しかし、我々人類は誰しもが納得できる人口抑制の方法を確立していない。

 こういった問題は将来、科学が解決してくれるものという楽観論もあると思うが、本当にそうなのだろうか。

 確かにわれわれ人類がこれまで繁栄をしてきた過程には様々な技術的なイノベーションが生まれてきた。特に重要なのは、石油の掘削技術の向上と空気中の窒素を固定化するハーバー・ボッシュ法の確立とそれによって肥料の増産が可能となった点である。

P80
>合成肥料ができるまでは、共生関係にある植物とバクテリアのこうしたペアが土壌中の主な窒素源であり、地球が生み出せる植物の総量を制限しいていた。
>ー農夫は昔から豆類を交互に栽培したり、一緒に育てたり、窒素の豊富なクロウーヴァーのような被覆作物を農地に鋤き込んで窒素を補充したりした。

 合成肥料の誕生によって、人類は絶え間なく農作物を生産できるようになった。しかし、これを行うには高温高圧が必要である。この肥料の生産は化石燃料の供給が続く間しか維持できないものである。

P70
> 誰もが菜食主義者だったら必要なのはその土地の四分の一だけだと、草食動物は主張する。というのも、それ以外のすべての土地は現在、家畜は放牧するか、
> その飼料を育てるためのものだからだ(一キログラムの牛肉を生産すると平均的な車が一六〇マイル(約二五七キロメートル)を走る場合と同程度の二酸化
> 炭素が排出され、一キログラムのコムギを育てる場合の一〇倍の水が使われる)。

 僕はながらく、こういった問題は菜食主義によって解決できるのではないかと考えていた。しかし、物事はそれほど単純ではなさそうだ。我々人類の増加のペースが早すぎるからである。1900年には世界人口は10億人しかいなかったのに対して、現在2000年には70億人に達している。およそ7倍である。幾何学的な倍増ペースをもってすれば、多少の工夫やテクノロジーではせいぜい数十年の猶予を与えてくれるにすぎないのではないだろうか。

P61
>「こう想像してみてください。ある種のバクテリアが二分割することによって増殖します。その二匹のバクテリアが四匹に、四匹が八匹に、と続きます。
> さて、午前十一時に一匹のバクテリアをお瓶に入れるとしましょう。正午には、瓶がいっぱいになっていることが観測されます。」

 あたらしいテクノロジーによって、人類はいくらか延命させれるかもしれない。新しい瓶を1つ2つ新たに見つけたとする。空間は倍々になる、しかし、これで安泰というわけにはいかない。次の瞬間にはもう新しい容器もいっぱいになってしまう。幾何学的に増えるとはそういうことである。

 人類は来るべきこの人口爆発を抑制する具体的な方法をまだ確立していない。しかしながら、日本を先進国として人口が減り始めた初めての国として将来モデルケースに
 なるかもしれない。将来を悲観することがないようにわれわれがなすべきことを考えたい。
 

凍/沢木耕太郎 著

凍 (新潮文庫)

 

「絶望しなければ死ぬことはない」

 

凍/沢木耕太郎 著を読んだ

 

最近、山登りには待っている。とはいっても私が登っているのは丹沢や大山といったハイキングで登るような低山である。それでも、頂上から見る景色や不意の孤独感に足がすくむような感動を味わうことがある。山は面白い。そして、怖いと思う。

 

この本は天才的なクライマーである山野井夫妻が、彼らにとってもっとも過酷な闘いとなったヒマラヤのギャチュンカン登頂を扱ったノンフィクションである。

 

山野井夫妻は少人数・単独無酸素でおこなうアルパイン・スタイルという方法で一気に登りきってしまう登山方法をとっている。大勢で前進キャンプをはっていく極地法とくらべて危険の多い登山方法である。

 

登頂の直前での妙子の不調により、ギャチュンカンの登頂は泰史のみによって成される。下山中の突然の雪崩によって、妙子はロープによって中吊りになってしまう。岩が切り立っており目視で妙子の安否は確認できない。

 


P192
もしかしたら、妙子は死んでしまったかもしれない。自分はスリングとロープに二方から引っ張られ身動きが取れないが、もし死んだのならロープを切らなくてはならない。しかし、手元から切るわけにはいかない。手元から切るということは妙子の死体を氷河上に落とすということであると同時に、ロープを捨てるということも意味する。ここからロープなしでは降りられない。

 

次の雪崩がいつ起こるかわからない状況で、もっとも最良とも思える判断をくだす必要がある。そうでなければ自分も命を失ってしまう。

 

P234

「このまま眠ったら死んじゃうかな」

妙子がつぶやくように言った。こんなに寒くて、何も食べていない状態では、ひょっとして死ぬこともあるのかなというくらいの軽い気持ちだった。だから、続けた。

「そんなに簡単には死なないよね」

死ぬ人は諦めて死ぬのだ。俺たちは決して諦めない。だから、絶対に死なない。

「うん、死なない」

 

九死に一生を得てなんとか下山をしたもの、凍傷により、泰史は両手のうち5本を失ってしまう。また、妙子は両手のすべての指、足の2本の指を残すすべてを失ってしまう。

 

しかし、彼らはそのことに悲観することなく、いまも難易度の高い壁を攻略し続けている。もちろんアルパインスタイルでである。

 

クライマーにとって指をなくすことは致命的かもしれない。しかし、困難であっても、絶望しない限り、挑戦は続いていく。

 

また、ともに最高のクライマーである彼らが互いに持てる力を導引し、死の縁から生還する。まさに、これは理想の夫婦なのではないかと感じた。

フェイスブック 子供じみた王国/キャサリン・ロッシ著 感想

フェイスブック ---子どもじみた王国

 

フェイスブック 子供じみた王国/キャサリン・ロッシを読みました。いまや大企業となったフェイスブックの立ち上げ当時内情を語る貴重な本でした。

 

P321
彼が最も大事にしているエンジニアたちとは別のフロアに移動させたわけだ。私の退職の日はまだ何週間も先だとわかっていたはずなのだが、これは一種の象徴的な行為だった。私がすでに彼の「テクニカル帝国」の兵士ではないという事実を、一言も明確な言葉を発することなく、皆に知らしめた。


著者のキャサリン・ロッシはサポートデスク担当でフェイスブックの51番目の社員として採用された。マークのメールの代筆者という仕事も行うようにもなったのだけど、たくさんの少年王たちの中でついていけないという感情を抱くようになり結局退職をしてしまったという内容です。
※ この本の原題は”The Boy Kings(少年王たち)”だそうです。

 

初期のフェイスブックはエンジニアと非エンジニアに給与面・権限などに大きな差があり、また、多くの少年王によるセクハラもあったようである。フェイスブックをハッキングした人間をわざわざ探し出して雇うような、ハッカーを異常なほど優遇する企業文化では、しばしば少年のような幼児性を内包する人間も多くいたことも伺えます。

 

今のフェイスブックは大企業なので、非エンジニアの人間はたくさんいるのだろうけど、この頃はずいぶんと肩身の狭い思いもしてきただろうと思います。典型的なハッカー文化の会社の初期の段階に非エンジニアとして関わった彼女の体験は貴重だろうと思います。どのアナリストの語る物語よりも迫真に迫っています。

 

P320
テレビのドキュメンタリー番組で見た、カルト教団の洗脳の場面を思い出した。使命だの、信じるだのと、彼は本気で言っているのだろうか。

 

一方で、彼女は物語なかでたびたびマークのもつ価値観への違和感を表明しているのだけど、うまくこの感情を言語化できていないのでもどかしく感じました。

最後はフェイスブックの株を売って儲かったという話で終わってしまったので唐突な感じのある終わり方だったのが残念でした。

読書感想『奪われた人生 18年間の記憶』

p231
いつも答えを用意しているのはフィリップだったので、彼がいなければ何をしていいかわからなかったからだ。

保護観察官とフィリップが部屋に入ってきた時の場面である。保護観察官はこの後で帰ってしまうので、フィリップを逮捕する絶好の機会を逃している。

一方でジェイシーは、知った人間が登場したことで安心してしまっている。フィリップは精神的に依存するに値しない人間であるにも関わらずである。

この手記ではそのような危うい心理が隠すことなく書かれている。彼女がこれを書くことで自分と深く向き合っているのがわかる。

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